日陰のふたり (1996)
JUDE (1996年 イギリス 123min)
監督:マイケル・ウィンターボトム
原作:トーマス・ハーディ
脚本:ホセイン・アミニ
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽:エイドリアン・ジョンストン
出演
クリストファー・エクルストン(ジュード・フォリー)
ケイト・ウィンスレット (スー・ブライヘッド/ジュードの従妹)
リーアム・カンニガム (フィロットソン/ジュードの幼少の頃の恩師)
レイチェル・グリフィス (アラベラ/ジュードと結婚するが・・・)
ジューン・ウィットフィールド(ジュードのおばさん)
イギリスの作家・詩人トーマス・ハーディ『日陰者ジュード』(1895)の映画化。
(他に『ダーバヴィル家のテス』など)
19世紀末イングランド。
学ぶことの大切さを少年時に教えられたジュード。
大学都市クライストミンスターの大学で学ぶことに夢を馳せつつ、石工の仕事をしながら学問に励むが・・・。
ままならない現実に翻弄されるジュード(クリストファー・エクルストン)の半生、そして知的で進歩的な従妹スー(ケイト・ウィンスレット)への愛が描かれる。
以下 あらすじ・感想など。ネタバレ注意!
《あらすじ》
少年ジュードは、教師フィロットソン(リーアム・カンニガム)より、貧しく仕事に負われていても学ぶことを怠らないよう、学問の大切さを説かれる。
青年になったジュード(クリストファー・エクルストン)は、その“教え”に忠実に、仕事をしながら学問に励み、いずれは大学都市クライストミンスターの大学で学ぶことに夢を馳せていた。
ある日、豚飼いの娘アラベラ(レイチェル・グリフィス)がジュードを気に入り誘惑!ジュードは誘惑に負けてしまう。 そして偽りの妊娠により結婚するが・・・アラベラとの生活は巧く行かなかった。
アラベラは、結婚生活に終止符を打ち、新天地オーストラリアへ。ジュードの下を去る。
ジュードはクライストミンスターへ進学の道の望みを掛けるが・・・進学の道が開けず、それでも石工をしながら学問を続けていた。
そこには、従妹のスーがいた。知的な彼女に惹かれるジュードだったが、スーは教師フィロットソンと結婚してしまう。結婚したスーを影ながら支えるジュード。
スーの結婚も破局してしまうのだった。
ジュードとスーは、お互い結婚という形式に拘らず同棲生活を始め、とても貧しいながら子供も授かるが、世間は教会にて結婚をしない夫婦を認めなかった・・・。
そして、世間の冷たい仕打ちと偏見が・・・
思いもよらない悲劇を生んでしまうのだった・・・。
《感想など》
私の評価 ★★★★★★★☆ 7.5
何とも後味が重苦しい内容の作品。ですが、いかにも英国らしい作品とも思った。
生活が苦しい庶民を描いているので、ものすごく現実的。
“階級社会、宗教信仰”が浮き彫りされている作品に感じた。
ジュードは、学問に希望を捨てず独学していくが、彼の大学進学は叶うことなく、現実に翻弄されながら生きていく人物。
結局、彼には何が残ったのだろうか?
私には、全てを失った人物に見えた。彼に残ったものは、勉強した学問(ラテン語など)の知識だけのように見え、それは彼の人生に取って、どんな意味をなすものだろう?と考えてしまった。
この時代に於いて、信仰は絶対的な物のようであり、スーとジュードは信仰にはほとんど関与していない人物。それが、仇となってしまうあたりは、哀しいを通り越してしまい苦しいとさえ感じた。
不幸な出来事があまりにも無惨というか残念。
子供を犠牲にしてはいけないなあ~と思ってしまった。
どんなに生活が苦しくても、子供だけには精神的な負担をかけてはいけないのでは?と感じたことも事実です。しかも、見ていく内に何となくその不幸を予測できてしまったのでした。
物語上、あえて悲惨な状況を作ったのでしょう。
ケイト・ウィンスレットのスー役。進歩的な考えを持つ女性を好演!印象に残った。
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