« 太陽がいっぱい | トップページ | 狂熱の孤独 1953年 »

2006/01/06

リプリー

The Talented Mr.Ripley〈1999年 アメリカ〉上映時間140min
ripley011監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ
制作:ウィリアム・ホーバーグ
    トム・スタンバーグ
原作:パトリシア・ハイスミス
撮影:ジョン・シール
音楽:ガブリエル・ヤーレ(ヤレド)
音楽監修:グラハム・ウォーカー
美術:ロイ・ウォーカー
出演
 マット・デイモン(トム・リプリー)
 ジュード・ロー(ディッキー・グリーンリーフ:大金持ちの放蕩息子)
 グウィネス・パルトロウ(マージ:ディッキーの恋人)
 フィリップ・シーモア・ホフマン(フレディ:ディッキーの友達・お金持ち
 ケイト・ブランシェット(メレディス:名家の令嬢)
 ジャック・ダヴェンポート(ピーター:ディッキーの友達)
◇パトリシア・ハイスミスの原作《The Talented Mr.Ripley》をアンソニー・ミンゲラが脚本を書き、監督した作品。《太陽がいっぱい》とは全く別のものと思う作品。
私の評価 ★★★★★★★★☆
        以下 感想 物語など

◇感想及び評価について
ripley021 1950年代の設定のこの映画の映像が私好みであった。この作品は何となくTVをかけて映っていたので、タイトルも分からず観ているうちに、『あれ?この筋書きは、“太陽がいっぱい”と似ている?』と。“太陽がいっぱい”のリメイク作品があったことを思い出し、まったく違う!リメイクなんかではない!と思った。改めて最初から見直しした作品。(☆なぜ、リメイク作品というようなことを伝えたのか?分からなかった。)
“太陽がいっぱい”は、したたかに計画して犯罪を行っていく青年を題材にしたサスペンスと思うが、この作品は、サスペンスタッチのドラマと感じる。このトム・リプリーは、初めから殺人を行おうと思った訳ではなく、偶発的に行ってしまう。貧しい彼は、ディッキーの気ままで華やかな上流の生活にあこがれを持っていて、そういう風になりたいと願っていたので、ついディッキーに成り済ましただけに感じるのだ。
リプリーは、ありのままの自分自身を受け入れることが出来ない人物と写り、それがとても愚かであり、悲しい人。それゆえ、自分以外の人間になりたいと思っているので、必然的(彼が男性だから)に男性に興味を示していくのでは?とも思った。
マット・デイモン
はこの救いようがないほど愚かな人物を良く演じていると思う。(☆このような屈折した青年の内面を演じるのが巧いと思いました。また、彼の話し方が好き。発音が良く、聞き取り易いので、英語がとても苦手な私だが心地よく聞くことが出来るのです。内容は字幕を見ないと分からないのですが・・)
ripley094-300 放蕩息子ディッキーを演じたジュード・ローも好演している。わがままで気ままなのであるが、かわいい部分や繊細な部分があり、魅力的!
ripley09-300フレディ役フィリップ・シーモア・ホフマンも好演している。初対面からトムを疎んじているフレディ、お金持ちで鼻持ちならない感じがよく出ている。
ピーター役ジャック・ダヴェンポートは、最初から同性愛者のムードが出ていて、彼も好演している。オペラ劇場で出会ったときから、トム・リプリーと彼はお互いに興味を持った感じである。二人とも音楽的にも才能がある風な二人で、惹かれ合うのも無理なく感じる設定だったと思う。ripley091-300 (☆ピーターは静かで、優しい!ディッキーに気に入られていたようだが、飽きやすいディッキーなので、頻繁に付き合いはしなくなっていたようだ?でもマージは信頼している人)

音楽について:ガブリエル・ヤレドの曲は、もの悲しくもあり美しいメロディー。また、ディッキーがジャズに興味を示しているので、この時代のジャズも盛り込まれ、リプリー、ピーターはクラシックを愛好しているので、イタリア協奏曲やスター・バト・マーテルが使われている。音楽・アレンジは、とても映像に合っていると思った。
特に印象に残っている曲:テーマ曲?クレージー・トムの他に
◆ララバイ・フォー・カイン:冒頭トムがガーデンパーティーでピアノを弾いているとき
◆イタリア:イタリアについたとき
◆マイ・ファニー・バレンタイン:トムが歌い、ディッキーがサックスを吹く
◆ネイチャー・ボーイ(演奏マイルス・デイビス):トムとディッキーが浴室でチェスをしているとき
◆イタリア協奏曲(バッハ):トムがディッキーに成り済ましアパートで弾く
◆スター・バト・マーテル(ヴィヴァルディ):ピーターの家でトムがなにげにピアノで弾く曲。ピーターが教会でリハーサルしているとき。

作品・音楽供に、良く出来ていると感じ評価★8.5とした。

◇物語(設定は1950年代)
ripley051-500 トム・リプリーはプリンストン大の知り合いの代わりに、上流階級のガーデンパーティーでピアノを弾き、ディッキーの父親グリーンリーフの目に止まる。そして、イタリアで放蕩生活をしている息子を連れ戻してほしいと頼まれる。高額の報酬とイタリアの魅力で引き受け、豪華船で旅立つ。船から降りるとき、令嬢メレディスと知り合うが、ついグリーンリーフの名を名乗ってしまうのだった。  さて、ディッキーのいる港町にようやくたどりついたトム、アメリカへ連れ戻そうとするが・・・自分がディッキーの父親に頼まれて来た事を打ち明け、そのままripley031イタリアにとどまるのだった・・・。 最初は気に入られているトムだったが、気まぐれなディッキーは、トムをうとましく思ってくる。ディッキーはトムとの最後の遊びとして、ジャズフェスティバルに出かける。翌日二人でボートを借りて海へ・・・ 口論が始まり、偶発的にトムはディッキーを殺害してしまう。ディッキーのジャケットを着てホテルに戻ったトムは、フロント係にディッキーと間違われるのだった。そこで、ディッキーに成り代わることを思いつく・・・。
ripley092-300 成り代わっても、メレディスに出会ったり、オペラ劇場でマージとピーターに出会ったり、それなりに演じ分けなければならないトム!又、ホテルからアパートへ移るが、フレディが訪ねてくる・・・正体がばれそうになって、第2の殺人へ・・・。その場しのぎで、すり抜けていくトムは、フレディー殺人をディッキーが行い、それを気に病み自殺するという筋書きの工作をするのだった。
ripley095-300 それから、トム・リプリーとして、ピーターのいるベネチアへ向かう。ようやく心を許せそうな友(ピーター)と出会ったのだが・・・、ピーターと供に仕事先に向かう船上で、令嬢メレディスに出会ったことがきっかけで、また嘘をつき虚栄を張ってしまう。そして第3の殺人へ・・・。(☆この殺人は、何ともやるせない!まるで自分自身を苦しめるだけのようにも感じた。とっても後味が悪い終わり方なのだ。後味が悪くても有りかな?と思うのでした。・・・だって、救いようがないほど愚かなリプリーですから・・・

|

« 太陽がいっぱい | トップページ | 狂熱の孤独 1953年 »

シネマ <ラ>」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/156314/8006253

この記事へのトラックバック一覧です: リプリー:

« 太陽がいっぱい | トップページ | 狂熱の孤独 1953年 »